2009年2月10日火曜日

拓銀破綻の根本原因 Vol.4 (最終回)

この件に関し、書き連ねるのは、結構、エネルギーが要ります。
と言うのも、基本的に、私も当事者の一人なので客観的に分析するのが難しい上に、破綻した元会社の悪口を結果として書いている様な気がして、罪悪感に駆られるからです。

しかし、そう言いつつも、国際ビジネスマンとして、冷静に分析する義務の様なモノも感じます。
兎に角、このトピックはこれが最後です。
剛速球で行きましょう!

「こまやかなお付き合い。」←これが拓銀の会社としての標語でした。
私が3年間勤務した道内地方都市の支店では、愚直に、この標語を実践していたと思います。
例えば、たった一組の高齢者夫婦の数千円の集金の為に、、車で片道30分も掛けて訪問した事も、何度もあります。
また、私はその支店勤務の2年目には、その支店で「住宅ローンのエキスパート」と呼ばれ、その後の2年間で100件近くの住宅ローンを実行しましたが、そのローンの実行金額は、
ほとんどが1千万に満たないものでした。東京の水準で考えれば、マンションの頭金にもならない取るに足らない金額(失礼をお許し下さい!)ですが、
こうした小さいローン実行の為には、地場の信金と競合してでも取りました。
そして、前回書いた様な、それ以外の預金集め等の仕事にも、自分なりに全力を尽くしました。
兎に角、馬車馬の様に、必死になって働きました。

入社3年目の一時期、残業時間が200時間を越える月が、3ヶ月位続きましたが、それでも誰一人と文句も言わず、休みもせず、黙々と働いていました。
後になって聞いた事ですが、この支店で当時一番、お客さんから預金を集め、各種の表彰を受けていた数年上の先輩は、個人のお客さん(この街は高齢者がとても多かったが)を訪問する際に、米とか肉とかを自腹で「お土産」として持っていて、土下座しながら、預金をとっていたとの事でした。

このように、私も含め、この支店では全員が全員、上意下達の体育会系の雰囲気の中、何かに怯えるように、必死に働いておりました。
こうした「激務」は青春のいい思い出ではありますが、残念ながら、「企業価値を高める」と言う意味を持ちえなかった。
と言うのも、「こまやかなお付き合い」の標語が一人歩きをし始めて、支店の上層部も含め、誰も制御できなくなってしまったからです。

例えば、こんな事がありました。
ある時、酔っ払った中年のおじさんが、融資の私の窓口に来て、「複数のサラ金から借りているカネを
一括返済したいから、俺に融資しろ!」と言ってきました。
私は、「申し訳ないが、そういうローンはないので、当行では無理です。」と答え、お引取りを願いました。
ただそれだけの話ですが、この事で、支店の先輩と上司から散々、罵倒されました。
曰く、「あのおじさんだって、10年後には資産家になっている可能性が無くはない。そう考えれば、もっと親身になって、事情を聞いて上げるべきだ。
それが、『こまやかなお付き合い』の趣旨だ。」とか何とか。。。

つまり、拓銀は、ある意味いい人すぎた。そして、市場経済を無視し過ぎた。
資本主義的に言えば、資産のある客や地域の優良な会社のケアに全力を尽くすべきなのに、「こまやかなお付き合い」を唱えすぎて、
最後は、地場の信金でもやらない様な、超リテールと言うか採算度外視のボランティアの様な営業に傾斜していった。

上の描写がピンとこないのならば、高級ホテルを例に、考えてみればいいと思います。
5つ星のホテルには、従業員にも、それなりの余裕が必要です。
そうした余裕が、プレミアムな客を引き寄せえることにも結果として繋がるからです。
しかし、その4つ星とか5つ星の余裕が全くなく、常に何かに追い立てられるように、馬車馬の様に、利益を全く生まない超リテール業務に傾斜して行きました。

本来、地域のLeading Bankとしてのブランドを確立すべきであったのに、「こまやかなお付き合い」の標語の元に、
社員を馬車馬の様に働かせ、思考する能力を奪い去り、ロボットへと改造した。
粗野で喚き散らすだけのヒステリックな上司とか、ひたすら「お客様の為に!」と唱え続けている感傷的な上司先輩が支店内に蔓延していた。
そして、ビジネスマンとして普通に持つべき判断力や思考力をもった人物が、決定的に不足していた。
ひたすら、皆が皆、ビジネスマンとしては未熟であったと思うし、人間として「幼稚」であった。
「大人としての余裕」が誰にもなく、ただ、狂ったように、支店長や本部に、屈服し服従していた。
プロフェッショナルとしての自覚が、全員に欠けていた。

今になって思えば、拓銀は、「こまやかなお付き合い」を唱えるのではなく、北海道のスーパーリージョナルバンクとしてのブランドを確立し、
北海道内のハイエンドなクライアントのみに特化すべきであったと思います。
同時に、「こまやかなお付き合い」と言う一見、「美しく、誰も否定できない響きをもつ言葉」の中に潜む魔性の洗脳力に我々は気づくべきだったし、
その「狂った標語」にNOと言うべきだったと思います。

最後に、拓銀に合掌します。
このブログをもって、私個人の中で、何かが整理できました。
今後は、国際ビジネスマンとして、前向きなネタを書きたいと思います。

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