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2009年10月7日水曜日

激闘!マニラでの4年間(序章 マニラへの道)


「激闘系ファイター」、20台後半の時に通っていた空手道場でそう言われていました。
大学卒業後に4年間勤務した北海道拓殖銀行が破綻して、東京にある「悪い思い出しかない中堅通信機器メーカー」で働き始めた頃の事です。
拓銀での仕事では、罵倒叱責されながらも、一生懸命仕事をして、それはそれで、充実した生活であったが、この中堅通信機器メーカーでの勤務は、本当にくだらなかった。

毎日毎日、ビジネスマンとしての気力や能力が、吸い上げられて行く様な錯覚に襲われた。
無気力かつ怠惰かつ無能な会社であった。
そんな仕事でのフラストレーションを、空手にぶつけた。
従って、あの頃の空手への打ち込みは凄かった。
今、あの頃の試合のビデオを見ると、技術的には、全然なっていないが、気迫だけは凄かったと感心する。
強い奴と組み手をして、何度も何度も上段回し蹴りを食らい、意識を飛ばしたり、
骨折したりしながらも、体を鍛えていると、いつしか私自身も肉体的に強靭になっていった。
そうなると、人間とは不思議なもので、仕事を通して得られる自尊心とか、勉強して資格取得して得られる自信とかとは、全く異次元の自信が得られた。
「それは何か?」と問われれば、自己に対する「絶対的な信頼」とでも言えば言いのであろうか。

昔、三島由紀夫が、「強靭な肉体に、健全な精神が宿る。」みたいな事を言ったが、正にそれを実感する瞬間だった。
当時、通っていた空手道場の先生が私に言った言葉は忘れられない。
「君は根性があるし、肉体的にも強靭だ。サラリーマンなんか辞めて、空手で身を立ててみたらどうだ?」
あの時ほど、グラッと来た言葉は、それまでの人生で無かった。
(あの時、もしそうしていたのなら、今頃、私は何をしていたのであろうか?小さな道場を開いて、子供達に、空手と勉強を教えていたりしていたのかなあ。)
兎に角、空手道場の先生がチラッと言った一言に、感激する程、あの「無気力な会社でのお遊び仕事」に、退屈もしていたし、ストレスも溜まっていた。
(私は別に優秀な人間ではないが、あの会社では、「この程度の仕事ならば、自己の能力の1%も使う必要がない。」と思っていたし、社内で、そう公言していた。何度でも言うが、本当に、エネルギーレベルの低い人間の集まった無気力かつ面白みのない会社だった。)

事態がここに至って、さすがに、真剣に、局面打開を考えるに至った。年齢は30歳。
あの当時の安易なオプションとしては、別の日本企業にさっさと転職すると言うものだったが、
「それでは、イマイチ、ぶっ飛び方が足りない。」、「限界超越をしていない。」、「面白みがない。」と思った。
当時は、独身だったし、肉体的にも、もっとも強靭な時期だったし、気力も充実していた。
「失うモノは何もない。もし失敗しても、最悪、死ぬだけだ。今しかできない事、この世で俺にしかできない事をやろう!」と真剣に考えた。
また、「国際ビジネスマンを気取るなら、いまこそ、海外で裸一貫で、全身全霊を賭けたガチンコ勝負をしてみるべきだ!」と考えた。
頭に浮かんだ候補は、シリコンバレー、台湾、そしてマニラ。
結論は結構、簡単に出た。
シリコンバレーというのは、夢であったが(今でも夢だが)、あの当時の私では、技術的能力の観点からも、無理だと考えた。
また、向こうで、チャンスを探すにも、物価の高いカルフォル二アでは、チャンスを探す前に、私の方が財政破綻し、単なる「観光旅行」になってしまうのは、目に見えていた。(だから諦めた。当時の私の全財産は、5百万円。) 

また、台湾はとても面白そうだったが、中国語が全く当時、駄目だった私には、「中国語をある程度のレベルにまで引き上げるだけで、1、2年は軽く過ぎてしまう。」と考え諦めた。
目的は、語学留学でも、ましてや長期観光ではなく、「海外のシリアスなビジネス現場で、タフなビジネスをする事。
孤立無援な環境で、どれだけビジネスが出来るのか?」をチェックすること。
言い換えれば、「自分の知力、体力、精神力の限界を見極め、極限状態で自分がどうなるのか?」をチェックすること。

上記の基準から、マニラをあっさり選んだ。
「いざ、マニラへ!」、そう単純に思った。
しばらくして、会社の上司に辞表を出した。
(この上司については、「いつも背中を丸めて、お茶を「ズッ!」と音を立てて飲んで、
 泣き言をメソメソと言っている無力な初老男」と言う記憶しかない。)
上司 :「どうして辞めるのかなあ?ワーキングホリデーにでも行くのかなあ????」
貴公子 : 「マニラで職探しをします。」
上司   : 「へー、面白いこと考えるねえ。娘の友達が、スキューバーダイビングが好きで、
フリーターをしながら、しょっちゅうフィリピンに行っているよ。」
貴公子 :  「はあ。」
上司    :「貴公子さんも、スキューバーが好きだったんだあ。そういう事が好きな人には、フィリピンは良いよねえ。」
貴公子 : 「そうではなく、マニラで職探しをして働きます。可能であれば、現地での起業も考えています。」
上司  : 「へえ。本気なんだあ。なんで、そんな事するの? 部長に、何と説明すればいいんだよお。。。」
貴公子 : 「ご理解頂けないと思いますが、自分のビジネスマンとしての裸の能力を外国でチェックしたくなったのです。」
上司  : 「わざわざ、苦労することはないよ。人生は楽に生きた方が良いに決まっているよ。
苦労するだけ、馬鹿みたいじゃん。考え直そうよお。」
貴公子 : 「今こそ、自分なりの勝負を海外でする時期だと判断しました。」
上司  : 「そんな事、急に言われてもねえ。それに、部長が何と言うか。」
貴公子 : 「ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません。では、私から部長に説明します。」
上司 : 「そうしてくれる? でも、海外に行きたいんだったら、心配しないでいいよお。君は、ウチのアメリカ子会社Admin担当駐在員の『次の次の次の候補』だよお。貴公子さんは、英語も好きじゃない。」

この「次の次の次」という言葉は今でも明確に覚えているし、今後も忘れる事はない。
正に、あの会社の緊張感の無さを象徴する言葉だと思う。
という訳で、何の躊躇もなく、退社した。
上記がマニラに行くことになった理由であり、経緯です。
拍子抜けする位、単純な理由で、馬鹿らしい理由とも言えるが、本当に、ただ、それだけの理由です。
別に、フィリピン人の彼女がいたとかそういう事ではありません。(笑)
ましてや、警察とかヤクザに、追われていた訳ではありません。(大笑)
マニラに行く1カ月前から、航空券の購入等の準備を始めた。
その間に、大学の友達との送別呑み会、空手の試合に出場、TOEIC受験等をした。
TOEIC受験は、旅立つ前の集大成として。
この時、なぜか、あの当時の英語力ではありえない920点が、まぐれ的に取れた。
何だかTOEIC実行委員会までもが、私のマニラ行きを応援していてくれている様な気がした。

すべてが終った2001年3月末、晴天の成田空港の昼下がりに、驚くほど、晴れ晴れした気持ちで、私は飛行機搭乗を待っていた。
当時、付き合っていた彼女が成田まで、見送りに来てくれており、空港内の小さなスタンドで、ビールを奢ってくれた。
続く。。。。。

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