2011年4月29日金曜日

国家とは、郷土愛の具現化だ!

有史以来、国家論は多くの哲学者や政治家によって、語られてきました。
有名すぎる、プラトンやヘーゲルの国家論に始まり、多くの人が今でも、意識的あるいは無意識的に、語っております。
例えば、外務省ラスプーチンのこと、佐藤優は、その著書、「国家の罠」の中で、陰謀主観的側面から、色々と定義をしております。

しかしながら、今回の大震災での天皇陛下と皇后陛下による、被災地訪問の記事や
(コレです。→ http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110428ddm012040060000c.html
英国でのPrince William王子の結婚式と、それに熱狂する英国国民の記事
(コレです。→http://www.bbc.com/royalwedding)を読み、国家と言うのは、そんなに大上段から語るものではなく、「我々国民のDNAに脈々と流れる、帰属意識や郷土愛に基づく、精神的な結びつきの具現化なのではないか?」と思うに至りました。
国体と表現しても、良いのかもしれない。

つまり、学者や専門家は、小難しく定義したがるが、「実は、もっと単純なのでは?」と思いました。
まあ、勿論、私はこの辺の分野の専門家ではないので、難しいことはわかりませんがねえ。

そんな思いで、ヘーゲルの国家論を、Netで、改めて検索していると、私の思いに近い定義に会いました。やはり、貴公子の感覚は正しいのか?(笑)
http://blog.goo.ne.jp/aowls/e/21e26715ca4b8e2fbf27c89f9d81e6ff

「家族という自然的な社会は、一般的な国家という社会に拡大される。国家という社会は、自然に基づいて建設された社会であるとともに、また自由意志によって結ばれた結合体でもあり、法に基づくとともに、道徳にも基づくものである。しかし、一般的にいえば、国家という社会は、本質的には個人によって成り立つ社会というよりは、むしろ、それ自身として統一した、個性的な民族精神と見られるものである。(哲学概論 第三課程§194)」

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