2015年2月25日水曜日

甘っちょろいマインドセットに唖然!

最近、社内を眺めていると、若手、中堅、ベテランに関わらず、精神を病む人が多いですねえ。
誠に、残念な事です。

今までは、こうした現象を、マニュアル社会の弊害だと思っておりました。
つまり、「こうすれば、こうなる筈。」とのマニュアル教育を信奉していたのに、、その通りにならない事が、この世には多いので、自己崩壊してしまうと思っておりました。(と言うか、この世に予定通りに進むことなんて、存在するのか?)

上記と表裏一体なのでしょうが、最近の日本人は、「思想が、純粋過ぎる。」とも思います。
純粋と言うと聞こえは良いが、裏返して言えば、「幼稚」とも言える。

最近も、いい年こいたビジネスパースンが、「一体、何の為に、仕事に勉強に頑張っているのか、分からなくなった。」とか、女子高校生みたいな事を言っていたが、正直、その思想の幼さに、唖然とします。

そういう事は、学生時代に悩み抜くべきことで、20歳になった頃には、その辺の事は、クリア(=自己消化)していると言うのが、貴公子世代にとっての常識ですね。
やるせなさに酒を煽り、酔った勢いで永遠と議論して、たまに殴り合いの喧嘩をやり、少しずつ、そうした根源的な部分を、自己消化していった訳です。
まあ、精神的に苦しく、「忙しい」時期でしたねえ。

「若者は、もっと大学時代に、勉強すべきだ。」とか言う人は、この世に沢山いますが、少なくとも、貴公子も含めて、周囲にいた人は、そういう「精神的な葛藤」に忙しくて、「勉強どころでは、無かった!」と言うのが、現実ですね。
いい年して、精神的に参る人は、「若い頃に、そういう精神的な葛藤が無かったのでは?」と思わざるを得ませんね。

ところで、「人間は何の為に、生きているのか?」みたいな質問に対しては、貴公子はいつも以下の様に回答しております。

「特別な目的などないし、世界に対する使命みたいなものも、アニメの世界ではあるまいし、全くない。ただ、人間は、『仕事をがむしゃらになってやって、壁にぶち当たり、それを乗り越える。』と言う過程を永遠と繰り返し、最後は、孤独の内に死すものであり、それ以上でも、それ以下でもない。」と言うのが、貴公子の理解です。

自分の人生に意義を見出そうとすることは必要だが、そこを超えて、存在意義を問うような事は、哲学者でもない限り、無意味だと思うし、その個人にとって、有害であるとも思います。

とまあ、思う事を書き連ねました。

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