2015年8月8日土曜日

終戦70年を迎えて、民族のDNAを考える。

終戦70年を迎えるに当たり、各種報道では、太平洋戦争特集が組まれております。
今の今、特攻作戦に関するドキュメンタリー(NHK)を見終わりました。

特攻に関しては、色々と言われるが、この番組では、「米軍に手痛い損失を負わせ、その後の講和条件を有利にしようとする、『一撃講和』の手段として、特攻作戦が用いられた。」との論理を展開しております。
そうなのかも知れませんね。
当時の軍の高官が考えたロジックとしては。

合理的なロジックだと思うし、そうせざる得なかった理由も理解できない事もないが、決定的な一点が、この特攻作戦には欠けていたと思う。
それは、「部下の若者を想う心」でしょうね。
端的に言えば、「論理的かつ合理的だが、心がない。」と言えるでしょうね。

翻って、現在の東芝の粉飾問題を眺めると、日本社会の上意下達の雰囲気と言うか、「部下想いの真のリーダーを育めない。」と言うのは、民族のDNAなのかも知れませんね。
日経に、面白い記事が出ておりました。
>経営陣は実現不能な目標を設定するだけ。あとは「従順」や「忠誠」を代名詞とする日本の
>企業文化に任せておくだけでよかった。そこではヒエラルキーの下層にいる人間たちが
>上からの言いつけを死に物狂いで実行するのだから。

東芝の上層部は、ふざけた目標を掲げるだけで、後は、「俺は、不正処理を指示していない。」との責任転嫁に終始しております。
勿論、上層部は、情に流されてはダメだし、時には冷酷な判断も必要である事は理解するが、我が国の問題として、上に行けば上に行く程、「情を排し、冷酷になり、部下を酷使する事がカッコいい。」的な発想があると最近、感じております。
「21世紀は、心の時代だ。」と、20世紀の終わりに多くの評論家が言いましたが、殊、日本に至っては、本当の意味で、何も変わっておりませんね。


まあ、批判精神のない部下も問題だが、それ以上に、東芝の上層部には、「部下の立場を思いやる心」がありませんね。
要は、「保身の為に、部下を利用し、踏みにじり、最後は自分だけ逃げた。」と言う事です。
問題なのは、こうした上層部に対して、東芝社員も、東証も、検察も誰も怒りを感じずに、「まあ、世の中、そんなモンでしょう。」的な「変な虚無感」が、世間に蔓延している事です。


そんな事を考えながら、週末の夜を過ごしております。

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